2007-02-14

修論レポ その2

Y先輩の発表の中で、15のゲームというのがありました。


1から9までの九つの数がある。あなたと相手が交互に一つの数を取る。一つの数字は一度しか取ることが出来ないので、相手がある数を取ってしまえばあなたはそれを取ることはできないし、そして、三つの数の合計が先に15になった方が勝ちである。

このゲーム難しいと思いますか?実はとても面白い回答があるのです。

    8 1 6
    3 5 7
    4 9 2

として並べれば・・・○×ゲームそのものになります。


Y先輩はこれを情報の提示の仕方によって、人の受け取り方、そして感じ取る難易度が違ってくるということを示した例としてだしました。これはおそらくD.A.ノーマンの「誰のためのデザイン?」という本からの引用だと思います。実際、今僕はそこから引用しました。ノーマンがこれを提示したのは、人の脳の中の思考パターンの特有性でした。プロセスが浅く広い(選択肢が多く、結果がすぐに出る ex.○×ゲーム)あるいは深く狭い(手順が多いが、選択肢が少ない ex.レシピ)場合、人は簡単だと感じるということです。これを学校のレポートのために読んだすぐだったので、すごく印象に残りました。逆に、ノーマンはこれを思考のスキーマー性の説明に使っていたので、会場で聞いたときはいまいち高齢者の認知の説明としてしっくり来ないと思いました。
さっきはその人の理解できる文脈と言いました。それを言ったあとに、同じノーマンのこの本のメンタルのことを思いだした。これはこの15のゲームでも確かに通じると思った。つまり、自分の理解できるメンタルモデルを持てることで、人は学習しやすくなるということでした。これに応じて、特に高齢者がわかるメンタルモデルを提案することもまた一つの回答かなと思いました。世代によって共通認識が異なってくるから、それらに特化したものも高齢化社会に対するプロダクトデザインの回答の一つだと思いました。だから、わざわざ高齢者に携帯電話で写真を撮ってもらわなくていいし、それはそれで、若者特化していてもよいのじゃないかと思いました。その代わりに、団塊世代が高齢化するまで、高齢化社会にアプローチしたデザインを分野、マーケットともに確立するのもいいのではと思いました。こう考えると、何もユニバーサルをとることは無いような気もします。(全てにおいてではないが)以前、というか高校のときに、先生から福祉の話をちょっと聞いたことがあって、ノルウェー(?)スウェーデン(?)どっちかが忘れたけど、そこの国が障害者にとってはとても暮らしやすいみたいです。しかしだからといって、道に段差を無くすとか、誰でも使えるとかという取り組みではないみたいです。障害者はきちんと国から補助をもらって、それで付き添いの人を雇う。だから、みんながみんなという発想ではなく、一人一人に特化したという考え方。ユニバーサルは最大公約数的なところもあるから。高齢者、障害者、マタニティーなどなどの問題には、そのような解決策も在かと思いました。

しばし脱せんでした。

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