2007-03-22

「変」

かなりいろいろとかきたいことがあったが、ちっとも書く気が置きません。ごめん
で、ちょっとだけ。
今更言わなくてもわかると思うだけど、僕はデザインに興味がある。で、デザインとはなにか。と言うことを常に考えている。そしてそれで頭を悩ませている。
うちの学校では、デザイン分野の先生や、芸術分野の先生、数学、情報工学、化学、・・・とにかくいろいろいる。それを学生はどう思うかはともかく、外から見るとどう思うかね。僕はそれはそれで不可欠だと思うけど、一般的に見て「変」だよね。でも、その「変」ってまさにデザインにとって不可欠であり、その根本的な性質を決定づけているんだよね。だから僕は学部生の間に対しては学校選びは正しかったと思う。そして、さらにそのデザインに含まれる「変」な領域を目指している。

抽象的な話しで何がなんだか意味不明だよね。ちょっとジンが入ってるから勘弁。明日以降(書く気になれば)その具体的なところを話すつもり。



歌を三曲
久しぶりにラジオを付けたら、この二曲が何回もかかっていた。もともと好きだからいいけど、ここまで人気になるとは思わなかった。ちょっとびっくり。



iPodのCMに使われているから、全世界で有名らしい。



言わずと知れた歌業界のシンデレラガールだね。


最後に一曲Shannon Noll - Shine
なぜかかなり気に入った。よかったら他のも聞いてみて。

2007-03-07

iPhone

そういえばこれがAppleのサイトに出てた。



なんか面白いよね。センスがいいってこう言うことだろうね。きっとWindowsだって優秀な人材をどっさり抱えているのに、この違いは使い方一つかね。
映像の本家はこちらです。
http://www.apple.com/iphone/hello/

iPhone自体の日本での発売(というか3G)は08年の春らしい。お見逃し無く。(←自分がw)
Macの日本のCMをも見てやってください。ラーメンズのこの毒が結構Macユーザーにはたまらないw

そういえば、「ツリーマップ」で株式の取引額を見てみると、AppleはMicrosoftの約1/3ぐらいだった。これにはちょっと驚いた。(「ツリーマップ」自体もかなり面白いけど、それ関連の話はまたいつか。)

2007-03-06

すごく気になっていたこと

プロダクトデザイン、ビジュアルデザイン・・・デザインを細分化して行くと、いろいろ出てくる。そして、僕は今のところプロダクトデザインに興味を持っている。でもそれだけでは限界はある。と言うより自分的にプロダクトデザインと言う言葉を拡大解釈しすぎてしまっている。結局デザインの一言で括っちゃえばいい話かもしれない。でも、デザインと言う言葉をも拡大解釈していた。・・・つまり、やりたいことはいろいろある・・・かな。

話は前回のIAMASに戻るが、土田さんのサイトグラフィックという作品は本当に気になる。あれは会場で見た瞬間「これは使えるっ!」って思った。これだけの基礎ができていればそのまま起業してみてはどうだろうかと思うわけだ。で、前回も描いたけど、このエンジンをどこで使うかと言うと、やはり大型のショッピングサイトが最も恰好だと思う。多分ネットショッピングをしたことがあれば、階層をたどって行って自分の気に入りそうな商品を見つけることがどれだけ骨が折れるかはわかると思う。もし決まった商品をただ購入するために検索するのだったら、名前を検索欄に打ち込めばいいが、漠然とこういったものがほしいと思うと、検索をしたところでたいして役に立たないんだよね。それに、ネットを利用していて、一番歯がゆいと思ったことは、「何となく検索してみる」ということが出来ない。もし本物のお店でならば、ぶらぶらすればいい話だけど、それが出来ない。ネット上のデータはあまりにもピンポイントだから、ぶらぶらしようと思ったら、結局つぶさに眺め回すしかない。ぶらぶらという軽快さが無い。それも、サイト側あらかじめ用意した表示順番と表示形式。情報と情報がつながることは難しくないが、受け手が自分でリフォーマットすることはかなり困難。勿論これはショッピングサイトに限った話ではないがね。
そこで、もしあのエンジンで本当に企業しようとしたら、何が必要かと考えてみた。先ずは、プログラムの軽量化だよね。そして特許申請。そこまではいい。問題はどうリリースするかだ。勿論使うのは利用者側だから、製品版有料ダウンロードしてまで使う人はいないだろうと思う。かといって、独自のサイトを立ち上げて、翻訳エンジンみたいにURLを打ち込んで表示する広告収入型もうまいと思わない。だからいっそのこと、直接ショッピングサイトにアタックして、このエンジンをレンタルの形にしてサイトに置いてもらう。そうしたら、利用先を限定できるし、そのフィートバックを直接ショッピングサイトに反映できる。刻一刻と変わるものであればあるほど、このエンジンの重要性はあがると思うよ。それに、サイトとの連携が出来たとすると、この表示エンジンにとって都合のよい画像やページのアーカイブを模索することが出来るし、マネージメントという面でサイト運営側のエンジニアに協力してもらえることもできるだろうね。
まぁ、ここまで言うと君が連絡を取ってパートナーとしてビジネスを立ち上げてみたらどうだ?と言われたが・・・やりたいのはやまやまだけどね。お金がないから出資者にも成れないし、プログラムの技術も無いからマネージメントをすることも出来ないし、経営知識も持ち合わせていないから共同運営者にもなれっこ無い。w
要するにただ考えてみただけだよw

2007-02-28

IAMAS 2007 その3

今回は前に書いた二つの分類に当てはまらない作品の中で、自分的にヒットしたものを書きます。

アカデミー生の荒木淳平さんのlandscapeと言う作品は、真っ暗な小さなスタジオの中にたくさんの糸を張りめくらされていて、そこに小さなスピーカーがぽつぽつと何種類かのノイズを出す。これは評価云々と言うより、体験してみるべし。
最初暗くなってみんな慌てて腰を下ろす。で、安定した姿勢を探すためにもぞもぞ動く、誰か軽く咳をする、鼻をちょっと鳴らす、ノイズは流れ続ける。ふと目を閉じたり開いたりしてみる、全く変わらない。右で服ずれの音がする、友達がいるであろう位置から一瞬荒い息が聞こえる、自分の息の音に気づく、ノイズは流れ続ける。
そういう世界です。最後に自分がつばを飲み込むときに、その一連の筋肉の動きがむちゃくちゃうるさかった。ノイズに満たされた。

同じアカデミー生の野路千晶さんのひらがな標本も面白かった。「あ」から「ん」まで、一つ一つのひらがなを全国各地から「採取」してきて、「生態環境」を再現しながら一つ一つを丁寧に標本化していった。その説明の一つ一つに詳しい「採取地」とそれぞれの「生態」とそれにまつわるエピソートを詳しく書いてあった。お土産にいかが?いえいえ、自分で見つけてこればいい話だ。w

あと、
IAMAS Media Laboと名前の展示室があって、細かい実験的な作品が雑然としている作業部屋の中に散りばめられていた。ちょっと気になったのは、ボーイスレコーダー。引き出しを開けたら録音開始、閉めると録音を元にした大まかな音が流れる、再度開けたら録音再生。要するに、一度録音を劣化(単純か)させてインデックス化する。そしてそれを聞いて大まかの内容を想像して、聞きたいなら聞く、嫌そうな内容なら聞かずに廃棄。例えば、開ける前にうれしそうな話し声が聞こえたらすぐに引き出しを開けて聞く。これは怒ってるっぽいって事前に思えば知らなかった振りをする。これは面白い。元データーをいかにして的確にインデックス化するかは重要だけど、人が情報を受け取るときの曖昧さをうまくついたものだと思った。
もう一つ面白いのは、手に収まるくらいの円柱があって、二重構造の筒の中に本体の回路があり、切断面に人の形を表示するディスプレイがある。本体の回路がおもりになって、円柱を転がしても中のディスプレイは水平を保つ。似たような構造のおもちゃを子供の頃に遊んだことがある。そして、円柱を転がすと内側の本体は速度に応じた傾きをする。その傾きに応じてさらにディスプレイの人が歩く、走る。これはよく出来たものだと思ったが、残念ながら試作品で正確には動かない。完成したら机の上に一つはほしいかもしれない。


とりあえず三回にわたって、IAMAS 2007の気ままな感想を書き終えました。僕は基本的に映像と電子音楽についてさほど興味は無かったもので、その分野には確かにすばらしいと言われる作品もありましたが、僕はあんまり理解できなかった。だから手のおえるものだけを取り上げて、書きました。参考かなにかになれれば幸いです。
このブログ自体、自分の整理のために書いていると言うこともあって、ディスカッションは歓迎です。何かありましたコメント欄にどうぞ。

2007-02-26

IAMAS 2007 その2

IAMASの二回目は UI
ユーザーインターフェイス関連の感想。

ユーザーインターフェイスで一番面白いのは土田哲哉さんのサイトグラフィックという作品。一つのサイトのトップページを基準として、URLのつながりを元にそのサイトの階層を作って、それぞれのページの縮小で全体表示をする。細かいところは、URLのつながりを表示させたり、階層を縦、横、同心円配置で見せたり、ページのURLの接続されている数(つまりGoogle形式のランク付け)に応じて大きさを換えたりと、いろいろな見せ方をしてくれます。一つのサイトの全体を見渡すのにとても便利、それも制作者と閲覧者のどちらにとっても使える。特にショッピングサイトのような莫大のページを抱えるものにはうってつけです。格子におさめられたコレクションのようで、ビジュアル的にも美しい。
その作品からちょっと発展して、階層を決定づける検索エンジンを変えればものすごくたくさんの可能性があると思いましたね。例えば、絵の構図を抽出して、Web全体で似たようなページ(あるいは画像)をつなげて集めるとかね。あとはブログのエントリごとの要約を抽出して、内容の似たもの、あるいは内容の変遷をたどる形で、ブログ内の文章を再レイアウトとか。URLと基準にするということはかなり物理的(力学的?)な構造だけど、そこに人が情報処理するときに用いるスキーマー的な感覚を持ち込むと、Web全体の情報の再利用や、個人個人の情報処理の円滑に一役買えるのではないかと思いました。
このプログラムを使ってみたいと思ったけど、まだ実用できないらしく、デモンストレーションも公開していないのは残念。
ちなみに、この作者はもしかしたらうちの大学の卒業生かもしれない。もしそうだと知っていたらもっといろいろ話をしてたのに。w

アカデミー生の尾関洋さんのカスタマイズスクリーンキーボードという作品(というよりソフトウェアーそのもの)はちょっと違う意味で興味が引かれました。作品の内容は配置されているボタンに自分で好きにキーを割り当てられると言うプログラムです。カスタマイズ性は評価できるが、それがハートの入力でバイスと連携するように作っていないのでどうしてかと聞くと、これは身体に障害を持っている人を対象としたものだと説明された。普通のキーボートを使えないという前提なら、このソフトをハートとの連携を計った方がよりよいのではとさらに聞くとちょっと予想外な結果が返ってきた。
この作者自身も身体に障害を持っていて、その話によれば障害者に適している入力デバイスはその人の障害の程度によって千差万別である。自力ではハートを入手できないので、そのために他人に頼むこともまた本人にとってはストレスに成りかねない。そのことからダウンロードすれば入手できるソフトウェアーで全てが出来ることを目指したという。
なるほど。僕は常々情報操作に置いて、勿論それだけではないが、体がより直接介入すればするほど、本人にとっては慣れ易いと思っていた。しかしこれはあくまで健常者(便意上とりあえずこう呼びます)の日常のを基盤として考えていてた結果で、障害者を視野に入れれば、その根本的なところの条件が変わる。自分にふさわしいものを手に入れるだけでも一苦労する人には、僕が少々不便と思えるものであっても、簡単に入手できるという点だけでもとてもありがたいと認識したことは無かった。対象によっては配慮すべき根本的な条件を設定し直さなければ成らないという教訓を得た。これはとてもありがたい。

その他のものとしては、高齢者向けのコンピューターを操作するためのランチャーや、携帯電話を操作デバイスとして作られたブレインストーミングツールなども中々興味深かったです。UIの中でも、特定対象のニーズのためのUIと、人の情報処理を手助けするUIと分類することもできるる。これもこの分野でのなかれなのだろうか。

2007-02-25

IAMAS 2007感想 その1 

前に言っていた通りIAMASに行ってきました。同伴者はmaricoさんとyouさんとなぜかS先輩・・・w 加えてマヨマヨは途中参加。
で、ほぼ一日をかけていろいろ見て回ったけど、ものすごく面白かった。アイディアもいいし、それを支えるきちんとした技術力もすごくよかった。
で、その中にあるもののいくつかの感想を書いて行きますが、大まかに分けて三種類。一つ目はアルゴリズムシステム系(勝手にネーミングw)。外界から入力された情報をある一定のアルゴリズムにかけて、その結果をフィードバックする種類。二つ目はUI、ユーザーインターフェイス。三つ目はその他で僕が面白いと思ったものをいろいろとチョイスします。

今回は一つ目  アルゴリズム

この展覧会で自分的に最も面白いと思った作品は吉田麻実子さんのfickle echoesです。

上にぶら下がる振り子の音がインプットデータで、その下に位置するガラスが起こす共鳴がアルゴリズム、そして生まれてくる音がアウトプットデータ。言葉にするとなんだか複雑だけど、実にシンプルで、身の回りにある様々なガラスの器がこんなにもしたたかに連動しているのかと思わせられました。美術史的な評価はとりあえずさておき(もしかしたら昔の焼き増しだと言われるかもしれないが)、何時間でも床でじっとして聞き入ってしまいそうな作品でした。

上の作品と同じように実際のものがアウトプットをするということで、邂逅 わくらばという作品がすごく面白かった。

砂利を踏む→間→踏んだところが小さく跳ねる。という仕組みの作品。アルゴリズムは電子回路によって制御されているけれども、まるで自分の知らない他人(あるいは自分)が追ってくるように、とても不思議な存在感を感じさせる。
人の行為が物理的に跳ね返ってくる。またそこから不在の何かを感じさせる。楽しくて不思議な作品でした。さらに砂利の反応を細かく突き詰めて行くともっと面白いと思いました。

今回のポスターはとてもカラフルなシャボン玉模様だったが、実はそれも一つのアルゴリズムシステムでした。IAMASアカデミー(専門学校)生の坂本恭子さんの作品のテキストからグラフィックをつくるです。

構造としては、まず一つの文を単語レベルに分解する。最初の文字で色、単語の字数で大きさを決め、並べて行く。句読点までに一行として、そのつど配置を新しく決める。
全てのひらがなに色を割り当てて、あとは作者の用いる単語で全てが決まって行く。作品として展示した中に「銀河鉄道の夜」や芭蕉の俳句集もあって、作家によって全く違う秩序が出るところが面白かった。

入力した音をビジュアル化して、オブジェのように扱えるようにするパフォーマンスの作品もありましたが、時間が合わなかったため見れませんでした。これはちょっと残念でした。その他にペンタブで入力された位置情報を元に、筆の加速度を音と3D座標で見せるような作品もありました。S先輩に自分はこのようなアルゴリズムシステムが好きと言ったら、最近の流れとしていろんな作品があることを教えてもらいました。こう言ったものは結局アウトプットの落とし込むところがすごく重要で、いろんなうまいアイディアは自分なりに消化する必要があるなーと思いました。

ちなみに関係ないけど、学校の課題で自分の作ったFlashもこう言ったタイプの作品だったので、ちょっと公開します。
その1 バブル
その2 ネオン
Action Scriptと色の扱い方がまだ結構未熟なので、温かい目で見てください。おまけに重いです・・・汗

2007-02-18

最終回(?) パラレルワールドの矛盾

タイムスリップの話を長い間、ほったらかしにしてしまいました。一応、考えられることは一通り考えたと思うけど、どうでしょう。最後にパラレルワールドで生じる矛盾をまとめて、終わろうかと思います。
で、その矛盾点を話そうと思ったら、友達のくれたコメントにおよその内容が全て含まれていた。w なのでそれを抜粋しつつ、僕の考えたことを話します。

先ず、パラレルワールドの間のずれの具合について

それぞれの軸の時間的差がどの程度なのかってこと。一秒くらいなのか、十のマイナス何乗秒なのか。

全くその通りです。パラレルワールドにおいて、もっとも厄介のは、このどのくらいずれるかということです。そして、パラレルワールド同士が時間的につながっていないから、数学で言うdx,dyとも取れない。言ってのタイムラグよりも短い間のタイムスリップが不可能。

次に、軸同士の歴史の関係性について

それぞれの軸の歴史は同じなのか違うのか。promeの考察を見る限り、(a軸の自分とb軸の自分がちゃんと存在しているから)どの軸も同じ歴史を辿るみたいだけど……。a1軸がb1軸に干渉して、a2軸がb2軸に干渉して……ってすると、いつかan軸とb1軸が重なってしまうと思うんだけど、そうなると「辿る歴史は同じ」って前提が変わってしまうよね。

これは正にその通りです。というのも、先ずタイムスリップが可能というふうに仮定をたてた上で考えなければならないから、「辿る歴史は同じ」を先ず前提条件にした。しかし、そうやって進めて行くと最後は結末が異なる軸が出てくるという矛盾が生じてくる。(前にも言ったけど、あくまでタイムスリップの「不可能性」を証明するための思考ですw)なので、この大前提は崩れます。
それに、僕は確率で全てが決まるという考えに基づいているから、(量子論の影響が絶大)ほんの些細なifのずれで、全く異なる歴史の軸が生じることも全然不思議ではない。(どうしてと言うと、「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」という言葉に代表されるカオス理論に関係するから、if次第で結果が何になるかは予測不能。)
一応、anとb1の話は、aがbの過去に作用するから、bになった軸はaには成れない。bの過去が変わるから、aのように歩めない、だからaに成れない。

次は、軸の個数 無限or有限

無限個の軸があったとしたときに、それぞれの軸の差がどのくらい小さなものであっても、数多の軸を隔てた二本を比べると数秒単位どころか年単位の差が生じる可能性があるってこと。一つ目の理由の答えがどうあれ、この問題は発生してしまう。地球誕生前の軸と地球消滅後の軸が同時に存在しても、違和感こそあれど理論的には問題なしということになるのかな。

一応、軸の数が多ければ、同時におよぶ時間軸が広ければ、それだけタイムスリップの自由度が増す。ということには成るけど、パラレルワールドでの自殺の場合、aから見て+∞〜-∞がともに存在することは不可能ということなったけれども、これは無限であることが不可能ということになるかどうかはよくわからない。もし起点が存在しても、無限が存在し得るなら、どんな過去にも到達することが可能になる。
しかし、そうでなければ移動の幅が制限される。そして、最も遅れている軸はタイムスリップ自体が出来ないことになる。これも矛盾っぽい気がする。

というのが、自分で考えていて、矛盾に思ったことでした。
で、それから導かれる結論は、起点のずれるパラレルワールドであっても、それを思い通りに過去にさかのぼることはできない。つまり、タイムスリップ不可能。あるいは、たとえ軸間同士での移動が可能だとしても、タイムスリップという性質は帯びなくなる。これが結論です。

ちなみに、パラレルワールドのあり方に次いでだけど、実際宇宙が誕生するときに、起点にずれのあるパラレルワールドが生じる可能性があるとのことです。(newtoneにも載ってた気がする)そして、それが一本軸でのタイムスリップとのプロセスが異なるので取り上げました。パラレルワールドのあり方は、起点がずれるか否かはたぶんどちらでもありうることなので、特にそれにこだわることはありません。ただ、起点がそろうことはタイムスリップ的には一本軸と全く同じなので、特筆していません。それに、起点が一緒であっても、上にある説明にあるように、全く同じ世界が築きあげられることは考えがたい。なのでどちらにしても、「他の世界にある自分は・・・」という考え方は出来ません。また、この点に気づいたことも今回の成果の一つだと言えると思う。
それに、僕が上げたあの図はあくまで「パラレルワールドとしてタイムスリップ可能の状態」を図にしたもので、その先には今上げたような矛盾がたくさんあります。


随分長かったけれども、「過去は変えられないものである」ということを証明できたのかな。w

2007-02-16

その3 O先輩

さて、次はO先輩の修論です。

O先輩は先ず、もの動きそのものを一つのシステムとして、そのインプットとアウトプットを外界との境界面としてとらえて、その二つの境界面に挟まれた中の営みを一つの空間をした。人がものに対して作用する、この接点が一つ目の境界、ものが外部へと働きかけることが二つ目の境界である。そしてものが働くプロセル(インプットとアウトプットに対して演算部分にあたる)が含まれる空間は不可視であることが人にとってのブラックボックスということになる。そのことから、人がそのものを理解しづらい、操作がわからないと言ったことにつながる。
そのことの改善策の一つに、O先輩はもの自体が能動的になるということを提案した。そこで提示した例としては長方形の立体があり、それが人が持ち上げると、立体の上面にある、四つ並びのボタンの一つがういあがって、突起する。その装置を動作する、動作しないの二通りに分けて、被験者に持ち上げてもらって、そのものに対する印象を求めた。そこで出た答えは、動作しない方は何のものがわからないや、分解してみたいに対して、人の動きに連動して動作する方は親近感が湧くなどといった興味を示すようなコメントが多かった。
ものが積極的に人の動きに反応し、さらに目にわかる形で積極的に外界に働きかけることで、これまでとは違ったアフォーダンスを持ち、ものの持つ空間が縮小されこれまでのブラックボックスの構造を変えることが出来る。というようなことでした。

発表のあとに、Y先生からこう言う質問があがった。ものが能動的になるということは、新たな要素が付加されたのか、それとももの全体が変わってしまうのか。と言うものだったが、O先輩は実験では動作しない方に比べて、動作する方はものの全体に対するイメージのコメントも多く、そのもの自体に対して愛着を持つとか、親近感が湧くとかというものが多かったので、それはものの全体が変わったことになるというふうに応えた。
ものが能動的に動く。このことは僕的にもものすごく興味はあるけれども、イメージが変わるということは二つのプロセスを経ているような気がする。一つはものに動作を付加すること。もう一つは、人がその付加された動作からこれまでにない印象を受け取ることである。能動ということはもの自身に対して「変貌」という要素を加えるというふうに思う。そして人の印象はゲシュタルト的と言うか、それをとても重要な要素として、もの全体を理解する際に使われると思う。
なんか上手く言葉に整理できないけど、「ものの変貌」ということで、とても気になったものが二つ。

http://www.youtube.com/watch?v=fFnNKIYljLw




http://www.youtube.com/watch?v=T5pNwG2nK6Y




上は詳しいことはよくわかっていないけど、下の方はHussein Chalayan の春夏のファッションショーの後半部分。ここには入っていなかったけれども、STYLE.COMの方でポットキャストとして配信していた方にはものすごく歓声が入っていた。とてもわかる気がした。
↓こちら
http://www.youtube.com/watch?v=o7npi_rzE6k

2007-02-14

修論レポ その2

Y先輩の発表の中で、15のゲームというのがありました。


1から9までの九つの数がある。あなたと相手が交互に一つの数を取る。一つの数字は一度しか取ることが出来ないので、相手がある数を取ってしまえばあなたはそれを取ることはできないし、そして、三つの数の合計が先に15になった方が勝ちである。

このゲーム難しいと思いますか?実はとても面白い回答があるのです。

    8 1 6
    3 5 7
    4 9 2

として並べれば・・・○×ゲームそのものになります。


Y先輩はこれを情報の提示の仕方によって、人の受け取り方、そして感じ取る難易度が違ってくるということを示した例としてだしました。これはおそらくD.A.ノーマンの「誰のためのデザイン?」という本からの引用だと思います。実際、今僕はそこから引用しました。ノーマンがこれを提示したのは、人の脳の中の思考パターンの特有性でした。プロセスが浅く広い(選択肢が多く、結果がすぐに出る ex.○×ゲーム)あるいは深く狭い(手順が多いが、選択肢が少ない ex.レシピ)場合、人は簡単だと感じるということです。これを学校のレポートのために読んだすぐだったので、すごく印象に残りました。逆に、ノーマンはこれを思考のスキーマー性の説明に使っていたので、会場で聞いたときはいまいち高齢者の認知の説明としてしっくり来ないと思いました。
さっきはその人の理解できる文脈と言いました。それを言ったあとに、同じノーマンのこの本のメンタルのことを思いだした。これはこの15のゲームでも確かに通じると思った。つまり、自分の理解できるメンタルモデルを持てることで、人は学習しやすくなるということでした。これに応じて、特に高齢者がわかるメンタルモデルを提案することもまた一つの回答かなと思いました。世代によって共通認識が異なってくるから、それらに特化したものも高齢化社会に対するプロダクトデザインの回答の一つだと思いました。だから、わざわざ高齢者に携帯電話で写真を撮ってもらわなくていいし、それはそれで、若者特化していてもよいのじゃないかと思いました。その代わりに、団塊世代が高齢化するまで、高齢化社会にアプローチしたデザインを分野、マーケットともに確立するのもいいのではと思いました。こう考えると、何もユニバーサルをとることは無いような気もします。(全てにおいてではないが)以前、というか高校のときに、先生から福祉の話をちょっと聞いたことがあって、ノルウェー(?)スウェーデン(?)どっちかが忘れたけど、そこの国が障害者にとってはとても暮らしやすいみたいです。しかしだからといって、道に段差を無くすとか、誰でも使えるとかという取り組みではないみたいです。障害者はきちんと国から補助をもらって、それで付き添いの人を雇う。だから、みんながみんなという発想ではなく、一人一人に特化したという考え方。ユニバーサルは最大公約数的なところもあるから。高齢者、障害者、マタニティーなどなどの問題には、そのような解決策も在かと思いました。

しばし脱せんでした。

修士論文発表会のレポート その1

今日はうちの大学の修士の論文発表会に参加したので、理解を深めるための重ねて、ここにレポートをちょっと書きます。本当に発表を聞いて、その記憶をのみ
頼りにしているので、独断と偏見な個人的感想なので了承ください。

先ずはプロダクトの四人の先輩。全員が認知関係の論文でした。
先ずは一番とに番に発表したS先輩とY先輩の論文です。S先輩は情報系のプロダクトのハートのデザインとソフトのデザインの間に生じている乖離状態について、ソフトとハートをともに扱う総合的な評価の仕方への提案でした。Y先輩は、高齢者にとって「新しい」ものへの認知についての論文でした。
両者はともに、人がハートを通じてソフトへの認知の行為においての研究だったけれども、一つのものをちょっと角度をずらした視点の論文だと思いました。
S先輩は情報機器の方で、人はものを扱うときの動作にでものを理解し、考え、覚えている、と論じて「ユーザービリティー=操作の慣れやすさ」という公式をたてて。だからもののきまった動作にきまった行為を割り当てることで、そのソフトへの認知をスムーズにしていき、より人の思考とものとの距離を縮めると言うような内容だった。
Y先輩は高齢者が一眼レフ、コンパクトデジカメ、カメラー付き携帯のさん種類を使って、写真を撮る行為とデーターを消す行為を実験して、高齢者特有の認知のパターンを探った。実験結果は、機能の複合機である携帯はものすごく使いづらく、コンパクトデジカメが最もわかりやすかった。携帯では、名前のついたボタン(アプリなど)は何度も押すけど、デフォルメされたもの(ゴミ箱のマークなど)にはあまり気づかない。あと、画面上のサブメニューやアイコンにも気づかず、操作がとてもはかどらなかった。一方、コンパクトデジカメはボタンの機能はは単純で、見やすくて扱いやすかった。そこで、最後の結び的なところはよく覚えていないけど、とにかく、ソフトな機能がハートと簡単に対応付けした方が最もわかりやすいとのことだった。
この高齢者の問題に関しては、先輩がどれほど触れたかわからないけど、やはり社会的な共通認識が若者やその他とはギャップがあり、こう言う場合はこう言うことが起るという共有されている常識が少ないため(特に情報機器類)、それはデザイン自体云々より、デザインがその人にわかる文法でデ・サイン(印を示す)されているかどうかと思った。同じ情報処理をすると言っても、漢和辞書の使い方なら、今風の若者よりは詳しいし、こう言うときはこうすべきと言う文脈をしっかり持っている。デザイン自身を認知心理学でとらえるのと一緒に、その人あるいは年齢層、文化背景にある人が理解できる文脈に沿ってデ・サインされているかどうかもまた問題だと思う。携帯はともかく、もし被験者に若者がいても、一眼レフには同じように戸惑ったと思う。
そして、S先輩とY先輩が共同実験もしていて、人がポジティブ感情(合ってるかな・・・)の時、おそらく要するに気分が高揚しているとき、人の思考能力が上がり、認知そのものもしやすいということを結論づけている。そのことから、人から好かれるものは認知されやすいというように導いています。たぶん要するに、愛着がものへの距離を縮めるということだろうか。質疑応答のときのM教授が「つまり快、不快?」という質問に対してS先輩が結構曖昧な返事だったが、その通りじゃないかなと思った。ポジティブ→高揚→愛着→好き→快・・・かな、自分的にはそんな流れ。矢印が逆の方がいいかな。

一休み

*注
そんなことも無いと思うけれども、もしも発表した本人が読んでいたら、謝りの言葉を先に述べときます。完全に理解するのに十分の知識も理解力も無いので、誤った理解や、一部の拡大解釈、それに的外れな意見感想は御許しください。図書館に論文が出たらじっくり読みます。
逆に指摘を頂けたら幸いです。

2007-02-12

友達の失踪

最近はちょっと厄介な風邪を引いてしまって、頭のねじが緩みっぱなしです。
なので、タイムスリップの話はちょっと待ってください。

その代わりに、一つ。
友達のオカジが行方不明になりました。w
もちろん現実世界での話ではありません。どうやら、彼はネットの世界から一時姿を消したかったらしい。それで失踪です。
それを彼はどうしたかと言うと、先ずmixiをやめて、ブログで失踪宣言して、そして、今ではチャットで話しかけでも無視され、すぐに落ちてしまう始末です。w
しかし、君は本当にそれで消えたのか?
否。決して消えてません。すくなくとも、僕は毎日君をネットで見かけます。というのも、君がありがたいことに、この更新の怠慢なブログを毎日見てくれていることを、アクセスログで毎日チェックしてます。そして、君がMSNにログインするとき、僕は話しかけるタイミングを知るために、自分のiChatにその都度 "Okaji is login" と言わせています。
つまり、君が他人とネットを会して接触すると必ずや残ってしまう痕跡で、僕は毎日君を見ています。こうなってしまって、は姿を消したうちには入らないよね。
そして、君のその失踪で何より僕が考えてしまうのは、いったいネットに出現することや消失することはどういうことなのかということだ。おそらく現時点、君の定義している姿を消すとことは、自分自身がネットを通じて誰か他の人と接触しないことなのだろう。もし違ったらごめん。というのも、連絡も取れない今になっては、僕には確認のしようがないから。しかしそれは「消える」ことなのか?
「足あと」という単語はもちろんしよく知っているんだろう。では、なぜそれは「アクセスあと」や「出現あと」では無いのだろうかね。僕はそこからちょっと考えたんだよ。
つまり、現実世界においても、存在は行為と情報が共存しているんでしょう。そのどちらかだけということは成り立たなくて、常にセットとして人が受け取るんじゃないか。
話すことは身体を動かす行為があり、情報を伝えるコンテンツもある。それが手紙に変わったときに、文字情報にその筆者の行為を読み取るわけだ。電話だと、もっとダイレクトだ。こういう風に考えると、ネットでは?
ネットでは身体や行為は無いだろう。あるのはただの情報だけでしょう。しかし、「アクセスあと」としないのは、人が他人をとらえるときには行為も無ければ行けないことが原因なのではないだろうか。
つまり、それを君に置き換えると、どこかと接触したことが痕跡として残してしまったら、もう君は存在したことになる。どうしても消すのだとしたら、痕跡を残さない、痕跡を知られない。しかしその場合も、君が自分の存在を消すための行為が生じ、(誰かにとってではも無く、何より君自身にとって)さらにくっきりと存在が浮かび上がる。
あるいは、2chみたいに、個を特定できなくする。が、これも誰かが存在しなかったのではなく、オカジも含む誰かが存在したというふうにぼかすことにすぎないのだ。
だから、もし姿を消すのだと言うなら、コンタクトを切るのではなく、いっさい自分からの接続をたたない限り成り立たないことじゃないか。君のこの実験の目的は詳しく知らないが、それはただのカムフラージュだ。そして、オカジは確実にネットに存在し続ける。

こういうことを考えると、どうしてもゴストインザセルを思いだすw

2007-02-08

パラレルワールドとはどんなものか

パラレルワールド。この概念は宇宙が誕生するときに生じるずれによって時間のスタートが異なる空間が無数に生じると言うことから来ている。(らしいw)

先ずはこの概念の構造から行きます。
以前、パラレルワールドは僕が前に書いた図のようにではなく、分岐点によって作られる分かれ道がたくさん存在する裾広がりなものではないか、と言われたことがある。
このことに対する答えはこうだ。分岐点によって、変わってしまうのは状態の方であり、空間が分岐点によって別れることは無い。例えば、箱の中にリンゴがあるかどうかと言うことを分岐点とする。ある、ないの二通りの状況が生じることがある。(もちろんそれ以上の選択肢もある。)しかし、ここに箱というモノ自体が無ければ、この分岐点(リンゴがあるかないかの問題文)が存在しない。
つまり、分岐点によって、多様になって行くのは状況であるが、その状況が存在するための空間が必要となる(この場合の箱)。リンゴがあるかないかによって、箱が増えたりすることは無い。このことと同じように、空間が裾広がりになって行くことは無く、その存在自身は変わることは無い。
空間の中の状況の可能性を示すことに裾広がりして行く樹形図を用いることは可能だが、空間はそれとは関係ない。だから僕はあのような図を使って、パラレルワールドの構造を考えている。

では、今度は平行に並んでいる軸の中の状況はいったいどのようになるのかを考えてみる。
僕が前に、世の中は確率で成り立っているとと考えている、と言ったことがある。そこは正にこのことを考えるために示したものでした。つまり、いつ、どのような分岐点が現れるか、またその分岐点に対する選択がどのようになされるかと言うことは、その時々の確率でしか求められないことだと思うのです。ちょうど分子のβ崩壊のように。
それに、以前パラレルワールドの構造に関する問題の時で、もしパラレルワールドが有限個だとしたら、ループの一周期を満たない軸では、違った道を歩むと言うふうな結果にたどり着いた。つまり、場合によっては、同じ道を進むことが出来ないのです。
そこで僕が最初の頃から考えていたもう一つのことは、もしパラレルワールドが存在しても、それぞれの軸が全く同じような状態でいることはほぼ不可能に等しいのではないかと言うことです。それはなぜかというと、今ある状況は、これまで全ての分岐点でなされた選択によって成り立っているからだ。

パラレルワールドであるが故の矛盾を、次回さらに考えてみます。

2007-02-07

中間まとめ

随分といろいろ考えました。楽しかった、でも結論まであと1マイル。w
前の方は正直勢いに任せて書いてしまったもので、これからはどうか書けばいいかとちょっと迷っている。
とりあえず手始めに、これまで考えたケースバイケースを羅列してみる。

時間の流れに関する考え方は一本軸の場合とパラレルワールドの二通りがある。

一本軸の場合は、過去に戻るとき、その間の営みが無限ループとして成り立つものであるならば、一応、流れ的には成り立つ。
昔に戻って、自分を傷つけることは可能。それが自分の古傷の元となる。
昔に戻って、誰かを殺すことは流れ的に不可能ではない。しかし、過去において被害者が死んでは、タイムスリップをする動機がなくなるから、事実上不可能。
最後に自殺の場合だが、これは順序的に矛盾があるので、あり得ない。

パラレルワールドの場合はたくさんの起点の違う空間が共存していて、その間に行き来することによってタイムトラベルをする。この場合、一本軸と異なるのは全ての軸において連続ループすることが成り立つことが存在条件となる。
昔に戻って昔の自分を傷つけることはできる。しかし、次元の違うので、その結果が傷つけた本人には反映されない。そして、傷つける軸と傷つけられる軸が交互に繰り返される。
昔の誰かを殺すことも可能。しかし、これも上と同じく、殺した人のいる世界には反映されない。
パラレルワールドでは、過去のとして存在する自分は今の自分とは「他人」なので、過去に戻って自殺することは不可能ではない。しかし、これはパラレルワールドが有限個に存在する場合に限った話であり、もしパラレルワールドが無限に存在するならば、一本軸と同じような矛盾が生じ、不可能となってしまう場合もある。

一個一個の場合の条件によって、存在条件がかなり違ってくるが、これらに通じる共通点としてあげられることは、一度過去として存在し得たものは二度と変わることは無い、と言うことです。これらのうちに、変化してしまうことが可能なのは全てパラレルワールドにおいてのみであり、時間が遅くズレている軸でも未来においてだけである。
つまり、これまでタイムスリップに見いだした価値(「過去」を変える)と言うものは存在しないと言うことにもなる。

そして、ここでも一つ疑問。そもそもパラレルワールドは存在するのか、あるいはパラレルワールドにおいて今言ったようにタイムスリップすることが可能なのかと言うことです。次回はパラレルワールドについて考えます。

2007-02-06

タイムスリップに対する僕の考え

一通り考えていたシチュエーションは書きました。正直、書きながら考えを進めるところも結構あったので、所々穴はあいてるんじゃないかなーって思います。気づいたら遠慮無くどうぞ。
こう言うことを書くってことは、いきなり本題をずらずら書く以前に、自分の考え方の基本と言うことを書くべきだったよね。今回はそれについて少し。

先ず、タイムスリップは可能である。これは大前提。以前これの考えを進めるために、オカジ(今はなき)にいろいろ物理的なことを聞いたが、どうやら、無理ではないけど、現代技術ではまだ不可能。でもやり方はあるそうだ。それに、このことに関わらず、これだけ「タイムスリップ」と言う概念が普及しているんだから、空想科学的に考えてもいいんじゃないかとも思ってね。一応、考えたところで何になるか分からないことを延々と考えてみました。

もう一つは、物理を使わない。科学的、されに言えば物理的な概念は出来るだけ最小限にとどめること、というのは僕の手に負えません。高校で真面目にやって、赤点をとったのは物理だけでした。www 今更の赤恥ですね。
光と重力とか、相対性理論とか、そういうものはいっさい出したくありません。自分自身が理解に苦しむから、それらを使わなくても何とかなるんじゃないかと思って、ひたすら形而上的に(これはこれでちょっと違うかもw)考えて見ました。

最後の一つは、世界は確率で成り立っていると言うことです。このことは今まで全く登場したことはなかったけれども、僕が世界をとらえるときの基本法則ですね。我思う故に我有り(je pense, done je suis 大好きな言葉です。)と並んで、僕が世界を解釈するときの第一法則です。
どうして確率の話が出てくるかというと、これからパラレルワールドの話をまとめて行くときに、最終的にはこれに突き当たる(僕の場合はね)。だから先に言っておきます。

以上は僕の考えていることです。もう一つ付け加えるとしたらですね、今を生きることです。何もタイムスリップをして過去を変えようと思って、そういうことを考え始めたことではありません。むしろ途中からは、それは出来ないと言うことを証明するために考え進めていたのです。最初のうちは、世界のあり方、そして条件を少し限定したら、過去を変えることもできることじゃないかと思ったけれども、それは出来ないと分かった時点でかなりほっとしました。なので、今を生きましょう。過去を変えることから始めてこのような結論になるのは、パラドクス的ではあるけれども、すごく報われました。

では次は本題のまとめをして行きます。

2007-02-05

久々に目から鱗

これはすごい!!

プロセスの可視かと行為からのアプローチ。
これは面白い。裁きが鮮やかだ。





パラレルワールドでの他殺

他殺です。犯人はsoso、被害者がyou。
実はこの他殺議論をパソコン室で大声あげて議論したから、結構周りから変な目で見られた。(かもしれないw)

t1において、soso(T1s)とyou(T1y)はお友達。しかし、ときがながれて・・・省略、以降一本軸出の他殺を参照w
T2sはT1yを殺すためにb軸のt1へタイムスリップした。そして怨念込めてb軸にいるT1yを殺害。そのご時空逃亡。T1sは悲し見、T2sはすっきり。・・・と思いきやa軸にいるT2yは生きたままです。T2sにとってはあれほどの苦労をしたのに、現状は何一つ変わっていません。・・・結果は以上です。一本軸の場合は他人殺しも出来ないので、a軸ではT2sは忌々しい思いをしながらT2yとともに生きています。そしてb軸では、T1sは犯人が誰か分からないまま殺され親友のT1yのことを悲しみながら生きています。
誰の言葉かは忘れたが、「世の中に、やりたいのに出来ないことと、出来るけどやりたくないことの二つしか無い。」あぁ無情。

さらに一つの選択肢がある。T1yの消えたb軸でT2sがT1sとして生きて行くことだ。そうすれば、忌々しいyouとともに生きなくても済む。・・・しかし、T2sがT1sとして生きて行くのに、T1sが邪魔だ。同じ人間であるけれども、経験の長さと記憶が違うから、アイデンティティーが違う。これでは、T2sが望み通りの世界を手に入れるには、無情にもT1sを殺して、成り済ますしか無い!!!
ここではもうお分かりでしょう。ここからは前回の話です。つまり省略すると、世界が起点を持っていればT2sの望みは叶えられる。そうでなければ、無理と言うことです。

一応、これで一本軸とパラレルワールドの両方においての自傷、自殺と他殺について、それぞれ考えました。物騒な例えでしたが、そっちの方は分かりやすいでしょう。存在がもろに関わってくるから。

では次に一旦まとめに入ります。

パラレルワールドの構造に関わる問題

T2がT1を殺すことに成功したけれども、しかし、同じパラレルワールドでも、その構造によって、不可能な場合がある。(今回はその6を読まないとつながりません)

パラレルワールドの個数、つまり全体として存在する軸の数を便意上に無限個あると言った。しかし、それでは都合が悪いこともある。つまり、無限個存在するか否かでまだ変わる。
なぜかというと、殺す起点が必要である。
もしも、一番最初に設定したように、a軸を基準と見て、+∞~-∞まで軸が存在するとした場合、a軸についてはさらに起点の早い所にある、a-p軸も存在し、同じ周期でa-np軸がある。(つまり無限個)
そうすると、矛盾が起きる。なぜなら、a軸にいるT1が未来のa-p軸から来たT2によって既に殺されていて、a軸にはT2が存在しなくなる。それではb軸にあるT1を殺すことが出来ない。また、a-2p軸についても同じことが言え、結果的にa-p軸にもT2が存在できない。これも数学的帰納法(本当に合ってるかどうか知らないが、雰囲気w)でやると、-∞まで同じ矛盾が生じる。これは一本軸のような矛盾と同じように、ループは出来ない、存在し得ない。と言うことで、パラレルワールドは無限個には存在しないということになる。
しかし、同じ無限個でも、a軸の起点が最も早く、そのご+∞この軸が存在する場合は成り立つ。少なくとも起点は一つ必要。
では有限だと考えてみる。その内の最も起点の早い軸をa軸と定めた場合、a~b-1軸は殺す軸、b~b+p-1軸(aとbとは等間隔の先にある軸をc軸とするならならc-1軸にあたる。そしてc軸のT2がd軸のT1をころす。)までは殺され軸。それを(p+1)×2個の軸を一周期として、その大きな周期が繰り返し繰り返される。これなら成り立つ。
ただ、問題が無くもない。最後、一周期を満たない場合は殺す相手がいない軸がでる、それらのT2はT1を殺すこと無く、これまでとは違った道を歩む。

ちょっと疲れた(皆さんもそうでしょうw)
次はパラレルワールドでの他殺です。

パラレルワールドで自殺


前回まで、一本軸では過去を変えることは不可能と言うことを証明(?w)したわけですけど、しかし、可能性は一つ残っている。それはパラレルワールドにかけることだ。

先ずは軸同士の関係だけど、それぞれ平行な軸が(仮に無限個)あって、それぞれの起点がほんの少しずつズレている。それがパラレルワールドの考え方。そこでの過去に行くことは現在よりも出発点の遅い軸に移動することであり、その逆は未来へ行くことになる。
そこで、大掛かりな自殺だ。先ず、t1にいる自分(T1)を殺そうとするt2にいる自分(T2)がいる。そしてT2はタイムスリップをする。これは要するに、T2のいるa軸から、p個の軸のへたてたb軸へ移動する。そして、a軸とb軸との間の時間差はちょうどt2-t1である。(このとき、起点の遅い方を+方向に見なす。つまりa<b、b=a+p。以前のは逆のふうに書いたが、このさい全部を訂正してこの書き方に統一した。)
そして、T2はT1を殺す。
これは時間軸的に全く問題はない。b軸にいる自分が誰かに殺されたまでのことです。しかしちょっと待って、自殺になっていません。T2はb軸では生き続ける。それはa軸に戻ろうと何をどうしようと、生きてます。

一番最初に、「過去」と言う過去は変えられないと言いました。このことはここでも当てはまる。
つまり、a軸の過去はタイムスリップしたことによって変わりません。変わったのはb軸です。しかも、b軸の過去ではなく、b軸の未来です。なかなかややこしいことを言ってますが、わかりますか?

そしてもう一つ注意してもらいたいことがあります。自傷の場合、数学的帰納法によって、全ての軸について全く同じことが無限ループとして成り立つことになった。しかし、ここでは殺す軸と殺される軸がある。
この考えにも二通りの考え方がある。詳しく次回。

タイムスリップ 一本軸での他殺

自傷、自殺、他殺と物騒な世の中が続いてますね〜(お前が作り出してるんだろうか)

では今回は一本軸での他人殺し。
同じくt1が出発点、そこにはt1sとt1yがいる(未来犯人sosoと未確定被害者you)。二人はその時点では仲良しとしましょう。と言うののも未来のsoso(t2s)がt1のときの友情を利用してt1yに近づくためとしよう。
そしていつしか時間は流れ軸はt2に至る。時間とは無情なものです。t1では仲良しであった、sosoとyouはこのときでは犬猿の仲です。そして、いつしかsosoは(見かけによらず)you殺害計画を企む。そして、t2sはt1へと犯行旅行に旅立つ。
と言うことはt1の時点にt1s、t1y、t2sの三人がいる。t2sがt1sに扮してt1yを殺害。「あ〜すっきりした。」(sosoなら本当に言い兼ねない・・・)といい、t2sはt2へと帰って行く。
もう分かりました?これも無限ループにはなれません。t2まで時間が進まないとsosoとyouが犬猿の仲になることも無い。つまり(いくらハラグロなsosoでも)殺害動機が無い。(親友でも殺害対象なら別ですけど・・・我が身が危ない・・・w)そして何より、t2yが存在した場合と存在しない場合の二通りのシミュレーション結果が出るから、無限ループとして成り立たない。だから無理です。
逆に、元々t1yは誰かに殺された。その真犯人は分からず、sosoがt2sになったときに誤ってt1yを過失致死させた。というシナリオならば存在可能です。

随分くどい(自分でも思う)説明だったけど、分かりましたか?
要するに、一本軸の場合は、過去は変わらないです。ドラえもんやハリーなど、因果関係にまだはっきりしないところはあるけれど、その流れが存在することはとりあえず不可能ではありません。しかし、一度過去として存在したことは変えることはできません。


これは一つ目の結論です。
次はパラレルワールドの場合の自殺、他殺についてです。

2007-02-04

タイムスリップ 一本軸での自殺

過去に戻って、歴史を修正する。
やりたいよね、せめてあのときの赤点を挽回したいし…w

と言うことで、先ず一本軸にについて考える。これはもう分かりやすくタイムスリップ自殺で行きます。
一本軸はその中にいる自分の流れと、その軸自体の流れがあると言いました。先ず自分の流れから。
t1(軸上のある時点)に自分がいる。そして、どうしてかそのときから自己否定が始まる。そして時の流れに身を任せt2まで時間が進む。そのときに、タイムスリップを使って、過去の自分(t1)を殺すことを考える。ターイムズリップする。t1の時点にt1とt2の両方の自分がいる。t2がt1を殺す。t1がいなくなると、t2の過去がなくなり、存在不可能となる。つまり同時消失。(・・・自殺成功?)

以上は自分自身の時間軸で見た場合であった。このことを軸自体の流れ(時間の流れ)からとらえてみよう。
まずt1に来るとt1の自分とt2の自分がいる。t2がt1を殺す。なぜか犯人と被害者が同時消滅。以降何も起らない。以上。

これで分かるように、二つの絡み合う流れがお互いに矛盾が生じる。
t2の犯行(完全に犯人扱いw)にはt1~t2までの時間差が必要であり、t2においてのタイムスリップと言う営みが必要。しかし、t2の犯行が結果的にそれを許さない。
このことを理解するのに結構時間がかかったけど、分かります?自分の時間の流れが行ったり来たりすることはできるが、軸自体の流れは一度きりしかない。だから、シミュレーションをして、前回のように無限ループが成り立たないと軸の流れの方で矛盾が生じる。
では、本気で自分を殺そうと思って、t1に戻ったt2の自分はどうなるのか。平ったく言えば、タイミング悪くt1の自分を殺し損ねる。何となく分かってくれるかな。永遠ループとして成り立つまで、不確定要素が変化し、成り立つ状態で存在として現れる。
つまり、一本軸の場合、過去を変えることはできません。このことはニュートーンでは自分殺しではなく「祖母殺しのパラドクス」として書かれいる。これがそのパラドクスへの一つの解である。

…長い。次は、同じ一本軸で、他人殺し(sosoがyou君を殺す)の場合を考える。

タイムスリップ 自分を傷つける場合

時間の流れに対する認識の仕方が二通りある。

一つは時間の流れは一つの川のようにあり、時間の流れは川の流れのように、起点からひたすら流れる一本の軸。この場合、タイムスリップすることはイメージ的に、軸の進行方向とは逆の方向へ進み(あるいは飛び)、そのことで過去へさかのぼる。
二つ目は、今存在している世界は無限の川の流れがあり、それぞれの起点がほんの少しづつ微妙にずれている、パラレルワールド状態。この場合、時間を戻すことは今ある軸の前の時点に戻るのではなく、時間的にずれている、平行して存在する別の軸に移ることを意味する。

ではここからはその二つのそれぞれについて考えてみる。でもその前に、最終的な結論を述べておく。(前半は三人の話し合った結果であり、後半は自分が推測したものである。)

タイムスリップをたとえ出来たとしても、一旦過去として存在したことをは変えることはできない。「過去」という過去は変えられない。そして、未来については常に未知であり、全ての可能性を含む。

と言うことです。いつかタイムマシーンが出来たら、これまでの全てのことを都合よく変えることが出来ると思っているあなた、残念です。「過去」に対する結論は僕たちが出したものにせよ、ニュートン(雑誌のね)の出した結果にせよ、以上の通りです。


先ず、一本軸の場合。
先ず考えたのは、もし、未来から来た自分が、過去の自分を傷つけた場合、どういう風に本人が認知することになるだろうか。

一本軸の場合、二通りの時間の存在がある。一つは、主人公の視点の時間、もう一つは物理的な時間。それぞれ考えてみる。
先ず主人公の場合を考えると、未来の自分に傷つかれた時点は、誰に傷つかれたと言うことをすぐには分からない。たとえ、顔を見たとしても、自分に似た人とまでしか分からない。それが時間がたって、その人がタイムスリップして昔の自分(傷つかれていない)の時に戻ったとする。そのとき自分を傷つけてしまった瞬間に、自分の持っている古傷が現在の自分によって作られたモノだと認識する。最も、突発的なアクシデントだと、過去の自分を木津つけたことにすら気づけなければ、一生分からないままになる。
流れ的には同じで、もし、いつかタイムスリップが出来たら、自分を傷つけてみようと思ってやろうとしても、実際傷つける瞬間まで、それを確定できない。この意図的にやることにつては、一番最後に詳しく書く。
こう考えると、物理的にも矛盾が生じない。つまり、無限ループが成立する場合、このタイムスリップは成り立つ。
このことは逆に、もしかしたら、最初に僕がドラえもんに抱いた疑問が解けるかもしれない。これについてはまだ詳しく考えきれていない。
とりあえず、結論が一つ。
「無限ループとして成り立つループは一本軸では成り立つ。」

このシチュエーションをパラレルワールドの場合で考えてみる。
パラレルワールド間を行き来することでタイムスリップする、と言うことを条件にするときに、傷つけられた自分を傷つけた自分は異なる軸にいる。
全ての軸を並べて考えると、一番ススンている軸a軸にいる自分が、p個の軸を経立てた進みの遅いb軸に行き、そこにいる自分を傷つける。
ちょっと整理すると、a軸にいる自分が、p個の軸の前にあるb軸に移動して、そこの自分を傷つけて、再びa軸に戻る。
この場合、もしパラレルワールドで全て同じ営みが行われるとしたら、a+1軸でもa軸のようにb+1軸へと移動し、そこの自分を傷つけ、a+1軸に戻る。この繰り返しがp+1回存在する。a~a+p軸まで同じことが繰り返され、また、b~b+p軸でも同じように続いて行われる。数学の帰納的に考えると、この世界に存在全ての軸(a軸を起点と見れば、+∞~-∞の全ての軸)で同じことが行われる。つまりこれもひとつの無限のループとして存在し、成り立つ。

つまり、世界の構造はどうであれ、未来の自分によって傷つかれることは可能と言うことです。
しかし、注意してもらいたいことは、パラレルの場合は、一本軸と違って傷つける人と傷つく人は違う次元にいる「別人」であることは頭に入れておいてください。

長くなりましたが、今回はここまで。
次回は未来過去を変える二つ目のパターンのことについてです

あっちこっちで比べられてますけど・・・

そういえばWindows Vistaがでましたね。今更だけど。

ばりばりのMacユーザーの僕には正直関係ない。でも窓使いの友達が「3Dディスクトップを使いたーい」って言ってました。・・・でも僕にいわせればMacのExposéの方がよほど使いやすいと思う。
でもいつかIntelに買い替えたときにはWindowsとブートしたいな。

こんな記事がありました。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/forbes/061222_mac/

内容がどうこう以前に、やはりお互いは意識しあってるんだよな〜って思った。
Macを語るときにWindowsとの比較が出ない、Windowsを語るときにMacとの比較が出ない。いつかそのようにはならないかな。他との競争も大事だとは思うけど、でも出来上がったものには自己完結制が無いとやはり弱いよ。比べる相手がいないと魅力を語れないだなんて、まだまだと思うね。何もコンピューターの話に限ったことじゃないけど。

2007-02-03

これが昨日の分 タイムスリップその2

えっと、御待たせしました。タイムスリップの話です。先ず今回は予備知識。

本当はちょっと書く気にならなかったけど、ちょっと調べようと思って図書館で見つけた昔のニュートンを読んでいたら、・・・全く同じ結論が書いてありました・・・w。つまり一応、soso,you,promeの三人の結論は突拍子も無いものでは無いことが証明されたわけであります。(ちょとつまらないきもしますが・・)

前回はいろんなストーリーに登場するタイムスリップを検証したとまでしか言わなかったよね。はい、検証はとりあえずしました。そこから見えたものはおおむね二パターンくらい。

一つ目は、ハリー・ポッターとアズカバンの囚人の巻に出てくる、自分を救ってくれた影を自分の父親(とっくに脂肪←・・・死亡ねw)に見えたが、実はそのあとにハーマイオニーがマクゴナガル先生から借りた砂時計で過去にタイムスリップしたときに自分が演じたものだった。(せつめいあやこっしい・・・)
つまり(それをはよういえ)自分の過去に対してしたことが自分自身の進む道に影響を及ぼすパターン。

二つ目は、バック・トゥ・ザ・フューチャーのストーリーに出てくるように、過去に戻って、歴史と違う行動をして、未来の自分の周りの環境(←ここ重要)を変える。

一つ目にはハリー・ポッター、ドラえもん(あの誕生秘話)などが含まれて、言ってみればループ型のパターン。二つ目はバック・トゥ・ザ・フューチャー、オーロラの向こう、ドラゴーンボール、などなど、一般的に実用性と言う下心を含むタイムスリップには全てこのようなものが含まれる。

そして、どうして二つ”くらい”と言ったかというと、上の二つのうちに内包されないこともないけど、その内のちょっと変わった、特別に考える必要のあるものもいくつかある。

その内の一つが、過去に戻って自分を殺す場合。(わざわざそれをやるか…普通に自殺したら済むのに…失礼w)この場合の流れが二つ目の内とも言えるが、いろいろと考えなくてはならないことがある。
そしてもう一つは、過去には戻ったものの、これと言ったこともしないでそのままも戻ってくること。これは一つ目のパターンであり、二つ目でもあると一見見えるが、実はちょっとひねりがあります。

では詳しい話は次から。おたのしみに〜

先ず始めに、1月27日の日記

うん、どうでもいいことだけど、今日友達とタイムスリップの話で盛り上がった。
で、どうしてかというと・・・これまた結構長い・・・。

随分前に、授業中でとある教授が「知ってたか?ドラえもんを作ったのはのびただよ。」と言ったことが全ての始まり。その結末はとある人が個人的に作った「最終回」が都市伝説として広まった結果だと知っている友人が、それを聞いて納得いかなくて、その教授に情報のソースを聞いた。その返事が「原作者がそういってた。」と返ってきたからさらに納得いかなくてそれが嘘であることをインターネットで探しまわって検証し始めた。

と言うのは結構前の話。そのときに、このことを詳しく書かれてあったのはウィキペディア(「ドラえもんの最終回」って検索すると出る)しか無かったけど、その内容にすっごい心残りがあった。
要するに、ドラえもんがいつか壊れて、その後のびたが自立心を養って、博士になって、ドラえもんを直した。そのことでのびたがドラえもんの制作者と言うことになっている。 ・・・おかしい。
どこがおかしいかというと、この場合、ドラえもんが先ず未来から来て、そしていつかが壊れる。それをのびたが修理する。ドラえもん(量産型が作られ)がまだ過去に送られる。・・・これって、誰もドラえもんを「無」から作り出していないじゃん。
のびたの時間軸から見れば、小学校のときにドラえもんがきて、壊れて、修理して、老いたあとかいつかにまだ過去に送る。
これをドラえもんの時間軸から見ると、(量産型として)作られる、過去に送られる、のびたに酷使される、(当然)壊れる。(いつの間にか)直される、それを元に量産型が作られる。
延々と続くけど、ドラえもんには時間ループ、あるいは存在自体の入り口が無い。このことがずっと頭の中にあった。

公式なエピソードではないけど、今日ひさびさにドラえもん話題が出てきたら、前から突っかかっていることを話した。そうしたらみんなでいろんな物語の中に出てくるタイムスリップについて検証し始めた・・・。

続く

mixiから

mixiの日記を移行することを考えてます。
こっちだとどんなにだらだらとした文章も書けるから、徐々にこっちにアップします。

2007-01-21

センター入試

http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070120AT1G2000J20012007.html

大学全入時代って、・・・なんだかあり得ない時代だ…。
それに、全入と言う前に、先ず日本は全出だし・・・その意味ってますます薄くなるね。

2007-01-13

iPhone

これがCNNが放送した映像、後半は違うけど。


これまでのいろいろなiPhone(の予想?w)










最後に、iPhoneの日本発売について、こんなブログを見つけました。というかググったらすぐに出てきて、それが結構いろいろな意味で反響があったから一応載せます。


iPhoneが日本で発売されない理由 -閉鎖的携帯電話市場「日本」とGSM

↑ちなみにこれって高校生が書いてるみたいw

書いてあることは所々飛躍し過ぎとは思うけど、言いたいことは分からなくもない。

2007-01-10

黒猫

今日買い物に行った帰りに一匹の黒猫にあった。住んでいる近くはそこそこ野良猫がいるので、普段はじーっと見つめていたら逃げていっちゃうけど、今日はどうしてかお互いの目が合ってアイコンタクトをかわした。
黒猫はいいよね。昔は犬派だったけど、今は断然猫派!!そしてもしも飼うなら、世界の不幸を一身に背負っている様な不吉てかわいいな黒猫を飼いたい。
花壇の中で何かを探っているその猫の首にはしっかりと首輪があったから、こっちに気づいたらすぐに家に帰っちゃうかなって思ったんだけど、全然そんなことなかった。最初こっちに気づいたときはやはり気まずそうに一瞬固まっていたけど、そのうち小さな声で僕に鳴いた。耳とか見ていると、どうもそこまで僕のことを怖がってはいないみたい。それて、僕がちょっと移動したら偶然猫の方も同じ方向に動いて、これはさすがに逃げるかなって思ったらよけいに近づいてきた。これはうれしい。それでその猫はしばらくこっちを警戒しながらこっちの周りを行ったり来たりしてた。それで、ここまでずっと鳴きっぱなしだから、お腹がすいてたのかな。ちょうど僕は二つのスーパー袋を下げていたし、それに猫が興味を示してたし。ただ残念なことに、それ、・・・トイレットペーパーです。w あと食料と言ったら、プリンにとうふに野菜。もしちょうどいい食べ物があったらその場であげたおもうけど、さすがに無理だった。それで、たぶんお互い10分くらい軽くじゃれあってたかな。でもさすがについてきてしまうのはヤバいからそそくさと帰った。ごめんね。出来ることなら本当に一匹黒猫飼いたいけど、今は無理だ。だからよけいに今日遊べたのは面白かった。アーでもいいなー、あんなに可愛い猫がいたら。w

2007-01-09

とりあえず初めまして

初めまして。promeです。
いろんなことを気ままに書いていくはずです。