2007-02-26

IAMAS 2007 その2

IAMASの二回目は UI
ユーザーインターフェイス関連の感想。

ユーザーインターフェイスで一番面白いのは土田哲哉さんのサイトグラフィックという作品。一つのサイトのトップページを基準として、URLのつながりを元にそのサイトの階層を作って、それぞれのページの縮小で全体表示をする。細かいところは、URLのつながりを表示させたり、階層を縦、横、同心円配置で見せたり、ページのURLの接続されている数(つまりGoogle形式のランク付け)に応じて大きさを換えたりと、いろいろな見せ方をしてくれます。一つのサイトの全体を見渡すのにとても便利、それも制作者と閲覧者のどちらにとっても使える。特にショッピングサイトのような莫大のページを抱えるものにはうってつけです。格子におさめられたコレクションのようで、ビジュアル的にも美しい。
その作品からちょっと発展して、階層を決定づける検索エンジンを変えればものすごくたくさんの可能性があると思いましたね。例えば、絵の構図を抽出して、Web全体で似たようなページ(あるいは画像)をつなげて集めるとかね。あとはブログのエントリごとの要約を抽出して、内容の似たもの、あるいは内容の変遷をたどる形で、ブログ内の文章を再レイアウトとか。URLと基準にするということはかなり物理的(力学的?)な構造だけど、そこに人が情報処理するときに用いるスキーマー的な感覚を持ち込むと、Web全体の情報の再利用や、個人個人の情報処理の円滑に一役買えるのではないかと思いました。
このプログラムを使ってみたいと思ったけど、まだ実用できないらしく、デモンストレーションも公開していないのは残念。
ちなみに、この作者はもしかしたらうちの大学の卒業生かもしれない。もしそうだと知っていたらもっといろいろ話をしてたのに。w

アカデミー生の尾関洋さんのカスタマイズスクリーンキーボードという作品(というよりソフトウェアーそのもの)はちょっと違う意味で興味が引かれました。作品の内容は配置されているボタンに自分で好きにキーを割り当てられると言うプログラムです。カスタマイズ性は評価できるが、それがハートの入力でバイスと連携するように作っていないのでどうしてかと聞くと、これは身体に障害を持っている人を対象としたものだと説明された。普通のキーボートを使えないという前提なら、このソフトをハートとの連携を計った方がよりよいのではとさらに聞くとちょっと予想外な結果が返ってきた。
この作者自身も身体に障害を持っていて、その話によれば障害者に適している入力デバイスはその人の障害の程度によって千差万別である。自力ではハートを入手できないので、そのために他人に頼むこともまた本人にとってはストレスに成りかねない。そのことからダウンロードすれば入手できるソフトウェアーで全てが出来ることを目指したという。
なるほど。僕は常々情報操作に置いて、勿論それだけではないが、体がより直接介入すればするほど、本人にとっては慣れ易いと思っていた。しかしこれはあくまで健常者(便意上とりあえずこう呼びます)の日常のを基盤として考えていてた結果で、障害者を視野に入れれば、その根本的なところの条件が変わる。自分にふさわしいものを手に入れるだけでも一苦労する人には、僕が少々不便と思えるものであっても、簡単に入手できるという点だけでもとてもありがたいと認識したことは無かった。対象によっては配慮すべき根本的な条件を設定し直さなければ成らないという教訓を得た。これはとてもありがたい。

その他のものとしては、高齢者向けのコンピューターを操作するためのランチャーや、携帯電話を操作デバイスとして作られたブレインストーミングツールなども中々興味深かったです。UIの中でも、特定対象のニーズのためのUIと、人の情報処理を手助けするUIと分類することもできるる。これもこの分野でのなかれなのだろうか。

7 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あああああああ!行きたかったのに!しまった!!家から割と近いのに!

大学で詳しい話聞かせてくれー。

匿名 さんのコメント...

ごめん、さっきの匿名になってるね

paracosmo さんのコメント...

・・・今も偽名ですけどw
これはさておき、面白かったですよ、とても。
ただ、やはり頭で考える部分が多いので、僕には魅力的でした。普通のいわゆるプロダクトデザインとはかなりかけ離れています。

匿名 さんのコメント...

うーん、そこが最近私の悩んでいるポイントで、
何かどんどん実際の操作がデータの操作に取り込まれていってしまっていて、
本当にモノの形でデザインする意味はあるのかしらんと。しかし行きたかったー図録とかないの?

paracosmo さんのコメント...

パンフレットはありますよ。よれよれまで使ってるけど、よろしければあお貸しします。(あげません。w)

ものの形でデザインする意味ね。ぼくも最近よく考えます、と言うか自分なりに結果は出ました。(勿論まだ不確か)
・・・話すと長いけど、要するに、スタイリングは物の持つ消費と言う性格にとても強く結びついている。だから僕はさほど重要視しない。
でも道具と言うレベルで考えると、認知と操作と言うとても重要なプロセスに絡んでいる。僕はそこに突破口を見いだしたい。

匿名 さんのコメント...

今日のエントリ見て情報系の実装ができるとやっぱいいなあ…と思った。

ああいうのやってからまたプロダクトに戻ると、物理的なものかディスプレイに投影されるものか、どちらの形で表現されるかわからないけど人間の感覚にヌメッとくるインターフェースができるんだろうな。
今までの、モノとモノのレベルだけの検討じゃなく、その表面で起こっているような触覚というかなんというか…な部分まで考えられそうな…

認知と操作って、モノの形やらサーフェイスやら色やらで「どう使うか」みたいなことを認知して、
そんでもって実際操作するときにモノの形の力学的特性によって、「どう使えるか」が規定されるという解釈であってるかな?

匿名 さんのコメント...

長くなったので分割。

んで、そもそものモノの形でデザインすることに意味があるのかって言うことに関して、多分私のその問いを発した思想自体があまり良いものじゃない。
端的に言えば将来への不安なのですね。
iphoneとかね、画面や耳元に近づける操作だけで機能が完結してしまっていて、
どんどんモノのなかで実際の形が規定している部分が小さくなっていくから、形のデザイナーはおマンマの食い上げになりゃしないかというね。

でも別に情報を扱う機器だけがプロダクトじゃないので
たとえば食器とか、データじゃおなかはふくれない。人間という物体と食物という物体は存在し続けるのだから、そのインターフェースとしてのプロダクトは物体としての特性を持ち続けるだろうし、
高齢者がいかに力を伝えるかとか、そういった問題もまだまだ未解決なものの方が多いし。そういう部分の解決をするデザイナーは、経済的ニーズはあんまりないだろうけど社会的ニーズはすごくあるだろうし、

もう一つの、解決は、まだ20なんだから、無理にモノの形のデザイン1本に絞る必要もないなという問題定義自体の問題。
別に自分が情報系の技術を身につけてみれいいじゃんと。それは企業に就職するときには役に立たないかもしれないけど、そしてすぐには融合するもんじゃないかもしれないけど、プロダクトをやっていて立体物をいやというほどこねくり回した経験や、ハイライト1本だけで形が見えた経験が、どっかでその身につけたデータ処理技術とつながって、新しい何かをうみだせるかもしれないなと。
もちろん、何か一つの分野は極めておかないとペラペラ人間になっちゃうから、プロダクトはやり続けるけど(そして多分プロダクトで就職するけど)情報系の技術もダブルスクール的にやっていこうと思う。まだ20代だから徹夜もある程度は大丈夫…のハズ!
と言った感じ。何の話をしてるんだか。
言葉の使い方もめちゃくちゃだしね。突っ込みよろしくー